《SHOW》劇団SKグループ / ナチュラルスイーツ〜ビッグMAMAブルース

《平成》の世も終わり、堕胎は罪とされ、女性は《ウサギの卵》と呼ばれる装置で胎児を育てる時代。
そんな時代を背景に、ある奇病を巡っての物語。
主人公;ミソラの母は心身共に退行していく奇病を発症。
ミソラの父は、母の病についての研究に没頭するが、母の病の進行は止まらず、亡くなってしまう。
母の死から数年後、姉;レミは母と同じ病を発症し、父はますます研究にのめり込む。
そんな中、ミソラは大学の同じサークルの星野と結婚。
しかし大手製薬メーカーの御曹司である星野は、ミソラの母と姉が罹った奇病のことを知りミソラの父に研究の資金提供を申し出ると同時に、ミソラと離婚する。
そのとき、ミソラは星野との子供を身籠っていた。。。
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2006年09月12日 SHOW トラックバック:0 コメント:0
《SHOW》東京セレソンDX / 流れ星
東京セレソンDXの2006年本公演はコレだけ(お正月のはア・ラ・カルト公演、になる)だそうで、行く気満々、でも何だかいろいろ立て込んでいて、結局私が観たのは千秋楽eve.の20日のソワレ。
仕事終わりで会場に着いたのが、開演15分前。
なのに、中野の住宅地の、あの小屋の周りには人がいっぱい。
私はチケット持ってたのでスイスイ入りましたが、あの人たちは当日券待ちの人たちだったのかしら?
場内は男女半々くらい、でも
前回同じ小屋で観たときよりも気持ち年齢層が高め、でした。
客演の方のファンの方々だったんでしょうねえ。
今回の前説は、下宿屋の食堂で、夜中に麻雀をする、というシュチュエーション。
毎度よく考えるもんです。
客電が点いていて、まだ人の出入りがあるなか、本編の出演者による小芝居はちょっ不思議な感じ。
本編用の着替えとかメイクとか、スタンバイもあるでしょうに──たとえ前説の小芝居も本編の一部として考えているんだとしても、段取り増やしてどーするよ(苦笑)、と正直私は思う。
いえ、お客さんとしては楽しいからいいんだけど(笑)。
そして、本編。
すっかり仲が冷え切った、下宿屋を営む熟年夫婦。
ある日夫が外出先で倒れ、意識が戻らないまま他界してしまう。
夫が亡くなり10日、お葬式やら何やらが片付いた妻のもとに魔法使いが現れて「4つの願いを叶えましょう」と言う。
妻は、夫に騙されて結婚した、結婚前の自分には好きな人がいて、その人と人生をやり直したい、あの時代に連れて行け、と言い、魔法使いは彼女をその時代に連れて行く。。。
脚本・ストーリーの組み立てが、やっぱり巧い。
登場人物の設定やひとつひとつのエピソードが緻密、シーン毎に都合よくブレたりすることがないので、観るこちらも集中出来る。
伏線の太さ、というか、オチに向かってうっすらと匂わせる、その匂わせ方も絶妙で、「それで?それで?」と物語に引き込まれる。
勿論、伏線の整合性もいい感じ。
当時に戻って、いろんなエピソードがある中で、魔法使いと夫(となる人)が“魔法使い”を呼ぶ方法の話をする。後年彼がそれを行うと、くだんの魔法使いが彼の元に現れて「あなたの願いをひとつ叶えましょう」と言う。あなたが魔法使いだったのか、と彼は驚くが、「自分は妻の幸せのために何もしてやれなかった。自分が死んだら、10日後に妻の元に現れて妻の願いを4つ叶えて欲しい」と願い、魔法使いがそれを叶える。
ラストに向けて、その種明かしがされて、私は号泣しながら唸りました(笑)。
しかも、結婚前の妻が夫にプレゼントしたレコードのタイトルが《四つのお願い》だったから、という細かさで恐れ入る。
この公演を観て、東京セレソンDXは日本語がすごく、ちゃんとしている、と改めて思った。
劇中、「その言い回しは違うな」とか「意味判んない」「その台詞必要ないよね?」と感じるものが全くない。
言葉なんて時代と共に淘汰されていくものだし、人によって解釈が違ってくるものではあるけれど、“最大多数の最大公約数”的に、性別や年代・職業なんかが異なる人たちが観ても、作家が意図しない解釈はされないだろう、という言葉の選び方をしているように思う。
あれだけ幅広い年齢層のお客さんが、程度の違いはあっても、笑いどころで笑い、泣きどころで泣くって、他では私はあまり経験がない。
作家・演出家のセンスなのか、意識してるところなのかは判らないけれど、そういう仕上がりになっているのは素晴らしい、と私は思う。
あ、役者さんたちの技量も言うまでもなく、です。
2006年05月23日 SHOW トラックバック:0 コメント:0
《SHOW》ミナモザ / 夜の花嫁
ミナモザは初めて拝見しました。
私はフライヤーやポスターを見掛けて、ぶらっと観に行くことが多くて、今回もそれ。
そうやって観に行くときには、極力フライヤーに書かれてあること以上の情報は入れないようにします。
そのほうがフラットに“作品”が観れる。
最近、席まきのフライヤーに“この公演の見どころ”やら“人物相関図”やらを折り込んでるところがあるけれど、私はアレが大嫌い。
配られても、絶対に開演前には読まない。
物語をよく理解してもらいたい、ということかもしれないけれど、事前に情報を入れておかないと楽しめないようなモノをお金払って来ている客に観せるって、どんな料簡よ?!と思う。
でまた、そういうものに限って、やってる人たち──作家、演出家、演者の独りよがりでつまらない作品であることが多い。
歌舞伎やオペラ、バレエなんかは確かに、楽しむためにはお客さん側にある程度の教養は要求されるけど、ソレとコレとは話が別。
必要なものとそうでないものをちゃんと精査した上で、板の上に載せてくれ、と思う。
《夜の花嫁》はその辺から、もう、私の好みでした。
席まきは、キャストとスタッフの名前が書かれてある、ペラッと1枚にアンケート、会場関連・役者関連のフライヤーが数枚、とシンプルなもの。
白い部屋、ステージ奥にテラスに向かう窓、中央に丸テーブルと3脚の椅子、上手に青いドア、下手にソファ。
音楽が徐々大きくなり、暗転。
真っ暗の中で、女が喚く。
気が付くと椅子に括りつけられていたという女は、それを自分の妹の仕業だと思い、妹を呼び続ける。
そのひとり喋りが、まあ凄いこと。
真っ暗だったから長く感じたのかも知れないけど、それでも優に5分、適度なスピードで、全然噛まないで、ひとりで喚く。
長台詞、って早口になりがちだけど、縛られているおしゃべりな女が「ほどけ!」と喚いている、という状況ならちょうどいいスピード。
で、この長台詞が鍵、だった。
おしゃべりな女を縛ったのは、部屋を訪れた5人の革命家。
おしゃべりな女は、耳の聞こえない妹と、この海辺の家でふたりで暮らしている、という。
女は、革命家たちの話を聞きたがる。。。
この浜辺の陽は沈まない。
という、ところぐらいから、夢オチだなあ、と心の準備はしていたんだけど、おしゃべりな女は女神か魔女のどっちかだろう、とタカを括っていました。
夢の持ち主がおしゃべりな女だとは思いもしなかった。
おしゃべりな女が何故おしゃべりなのか。
おしゃべりな女は何故人の話を聞きたがるのか。
そして妹は何故耳が聞こえないのか。
すべてにOKなオチ、なおかつ映画やドラマのような映像作品では現せない、生のお芝居ならではの決着で大満足。
筋以外でも、照明・音楽の使い方が繊細で、物語に集中することが出来た。
思いがけず、いいものを観ました。
次回公演は年末になるとのこと。
今年の愉しみがまたひとつ増えました。
2006年04月04日 SHOW トラックバック:0 コメント:0